週一エッセイ/所属タレント

第030回 2002年06月07日 池原量 「ついに初体験です!」

「鳴き砂」って知ってますか?
歩くと琴のような音がするという砂浜。 そんな神秘的な砂浜があるということを知り~いつか行きたいなぁ~と思いをつのらせること5年。
ついに「鳴き砂」を自分の足で体験するチャンス到来!
私の目的地は、日本海側の網野にある琴引浜海岸(天橋立から30~40分ぐらいの場所)
波乗りでも有名な所です。
なぜ、砂浜を歩くと音がなるのか?
本当に音が鳴るのか?
今回の旅は、いろんな疑問とともに大きな不安もありました。
そう、今回は「ひとり旅」
可愛い子(娘)には旅をさせろ!っていうでしょ!ウフッ
果たして琴引浜にたどりつけるか?
ちゃんと家に帰ってこられるのか…不安でいっぱいでした。
しかし「成せばなる」です。
琴引浜は本当に美しい海でした。
ハワイの海にも似ていると言われているのにも納得!
裸足で砂浜の「鳴き砂」をするように歩くとキュッキュと音が本当になりました。
琴引浜の砂は、石英砂の浜なので音が鳴るんだそうです。
(恋愛で相手を泣かせている人は砂が鳴らないそうですよ!お試しあれ!)
みなさんも是非、「鳴き砂」を初体験してみて下さい。
《ついにやったぞ!初体験ツアー》
◆4時間30分かけて網野町、琴引浜海岸へ
北近畿タンゴ線「大阪」→「豊岡」 北近畿タンゴ鉄道宮津線「豊岡」→「網野」 丹用バス「網野駅海」→「掛津」 徒歩5分
◆海を綺麗にしよう!ビーチ・クリーンに参加!
琴引浜は禁煙ビーチ。海をきれいに保つため皆で海辺の掃除をしました。
◆ボディーボードで一泳ぎ
晴天で心地良かった
◆はだしのコンサート 海辺でのコンサートは最高でした!
◆帰路は6時間かかりましたが無事到着
丹用バス「掛津」→「網野駅前」 北近畿タンゴ宮津線「網野」→「宮津」 北近畿タンゴ宮福線「宮津」→「福知山」 「福知山」→「大阪」
海岸でたくさんの人と知り合い触れ合いました。どうもありがとう!

第029回 2002年05月30日 Kay稲毛 「Between The Sheets」

Between The Sheetsと聴いて、「カクテルの名前。」と答えれたあなたはきっとお酒が好きで、 オシャレなバーで女性を口説き落とした経験の持ち主だろう。
また、「なんか、エッチナ響きやなぁ~」などと答えた人がいたなら、その人は多分ボズアトールのシゲリンのような性格の人であろう・・・
色々と勝手な憶測をしてしまったが、この「Between The Sheets」Kayにとっては、世の中で最高のバラード曲のタイトルなのです。
The Isley Brothersの名バラード「Between The Sheets」この曲は、今まで色んな人がカバーしたり、サンプリングしたりして来たが、 やはりオリジナルが一番だと思ってしまう。
と言うのも、1998年だったと思うが、大阪ブルーのトで彼等のライブに行き、生の「Between The Sheets」を聴いたからだ。 正直その時あまり期待もせず、にライブに行っていた。 何故なら96年にリリースされたアルバムの出来がKayにとってあまり良いできではなかったからだ。
しかし、ライブで彼等の生の演奏を見て、聴いてその考えが間違いだった事を痛感させられた。
そのライブでKayは不覚にも涙を流してしまった・・・
それ以来彼等はKayにとって特別なアーティストになった。
その彼等が昨年40周年を迎え新たにアルバムをリリースした。
「ETERNAL」これがその昨年リリースされたアルバムのタイトルだ。
このアルバムで彼等は見事に復活したとKayは思う。事実全米でもかなりの評価を得て昨年また日本にもやって来た。 昨年のライブもかなりよかったらしい。 残念ながらKayはその感動を味わう事ができなかったが、次の機会を楽しみに待つ事にしている。
機会があればこのアルバムと共に「Between The Sheets」も収められているベストアルバムも是非聴いてみて欲しい。

第028回 2002年05月23日 加藤くみ子 「電車の旅」

「春色の汽車に乗って~♪」
この季節、昼間のすいた電車に乗ると、このフレーズが浮かんでくる。
ポカポカ陽気の中、のんびり、ほっこり、電車の旅に出たくなる。
学生の頃、旅費を安くあげる為に友人と何度となく「各駅停車の旅」に出かけたっけ…。
中でも一番の遠出は「北海道」。高校2年の春休みに学割と冬季割引を利用し友人と2人めっちゃプアーな10日間の旅に出かけた。 そう、まだ雪の残る北海道へ。
上野発の夜行列車に乗り各駅停車の電車に揺られ青森へ…。
青函トンネルが開通する前だったので、青函連絡船で津軽海峡を渡った。
夜の真っ暗な海に向って、友人と2人大声で「津軽海峡冬景色」と「海は広いな大きいな」を歌った。 言っておくが深夜の凍えるような寒さの甲板、 人はほとんどいなかったし、船の進む音と風の音で私達の声はいくら叫んでも口から出たそばからかき消された。 だから恥ずかしい事もなかったし、逆にむきになって大声を張り上げていた。
私達は、友人の親戚の札幌の家を拠点に札幌を回ったあと、北海道の大自然を見る為に網走や釧路(浜小清水)へ…。
日本最東端「納沙布岬」に行ったり、タンチョウ鶴を目撃したり、白鳥がV字に飛ぶ姿に感動したり。 宿泊場所だけ決めてあとはその日その日の行き当たりばったり。 宿を出てから、2時間に一本の電車で灯台に向ったものの、店や売店もなく誰一人会わず、雪が吹雪く中、 からすの歓迎を受けながら食べる物もなくて一路灯台へ。 とりあえず持っていたビスケット空腹を満たし、海を見ながら「海の色って空の色が移っているんだね~」 と些細な発見に喜び…(雲がある下の海は黒く影が出ていた) また2人貸し切りの電車に揺られ戻ると言う時間の流れがゆっくりした旅だった。
ある朝4時起きでキタキツネの足跡を追いノルビックスキーで誰もいない朝の湖面をすべった。 キツネは見つけられなかったけど白鳥の群れが…思わず二人そーっと近づいて行った。 写真部だった彼女は良い写真を撮ろうと必死。今思うとなんと危険な事を!
きっと だいぶ薄くなった氷の所まで行っていたはず。人気のない場所、助けを呼びに行くには1時間くらいかかるだろう。 あ~無謀!!(かとくみの危なかった話?第2弾)
ステキな想い出をたくさん作っての帰りの電車の中、 彼女は「2人旅で、もめる事もあるかと思ってたけど、くーみんとだったから楽しかったよ」と言ってくれた。 忘れられない一言となった。この旅の中で、今の仕事をする気持ちに多分に影響した人物にも出会ったのだが、 話が長くなるのでまたいつか…。
ところで一緒に旅した彼女、その後、北海道教育大学に進み北海道で高校教師になり結婚し子供も生まれ今も北海道に住んでいる。 何やら広大な土地(安いらしいけど)を買い、一人で花を育てポプリをインターネット販売しているらしい。 なんと家の近くのアンテークショップにも卸しているようだ。 そう言えば「蜂の研究」したりしてたっけ。
「ポプリって言うとおしゃれだけど実は農作業だから、もうすっかり田舎の同化しているわ~っ」 て言ってるけど…大自然の中生きる人生もステキだと思う。
彼女の旦那さんが横浜で会った時、車の中からたくさんの電線や渋滞の様子を写真に撮っていたのが忘れられない。
小学校の先生をしている旦那さんは「子供達に見せてやるんだ」って。
「こんなにたくさんの電線を見たことないから」って。
春の陽気に誘われて、電線の少ない風景を電車の車窓から眺めつつ、のんびりの旅してみたいな…。

第027回 2002年05月16日 や乃えいじ 「百足」

中学二年生の初夏の事だったと思う。
僕の実家は九州の耶馬溪という山深い田舎で、家は耶馬溪の中でも更に山奥に山に寄 り添うように建っている。
七年程前に新築するまでは、僕の父が宮大工である事が疑 われるくらいボロ ボロの破れ果てた家だった。
そんな場所でそんな家だったから、外からは気持ちのいい風だけでなく、昆虫や鳥なんかも飛び込んでくることも珍しくなかった。
丁度僕は高校進学を意識しだした頃だったから勉強するポーズだけでもっとっていたのか、 はたまた中間テストか何かで必要に迫られていたのか、とにかくその日は遅くまで起きていた。
深夜気持ちのいいノビとともに床についたのは2時過ぎか、滑り込んだ布団の感触もそこそこに、すぐに寝入ってしまった。
どれ位経ったろう、耳元で荒々しい、しかも湿ったガサガサという音が聞こえた。
明らかにそれは僕の耳の中に入ろうとしていた。
無意識のうちに手で払ったのであろう、それは僕の服の中に、しかも背中に移動していた、と思った刹那激しい痛みが二度三度背中に走った。
慌てて飛び起きると、とっさに服を脱ぎ叩きつけた。
恐る恐る明かりを灯すと、そこには15cmをゆうに超える「ムカデ」がのた打ち回っていた。
紫色にテカリながら不気味に動いていた。
動転していたのであろう、青臭い雄たけびとともに上半身裸で枕を必死に叩きつけていた。
程なく物音に気づき、その光景を目の当たりにした祖母は、「僕が気が触れた」と真剣に心配し、 「急に勉強しだした事がいけなかった」と涙を流した。
今でも蛇とムカデは大の苦手である。決して「まんじゅう怖い」ではない。

第026回 2002年05月09日 北さおり(さおり) 「ウイングスタジアム」

『Wing』、翼と言う名前のついたスタジアム、神戸ウイングスタジアム。
スタジアムの形状が翼に似ていることから付いた名前だそうだ。
5月2日、キリンカップ、日本対ホンジュラス戦をその「翼」のあるスタジアムで見てきた。
球技専用の新スタジアム、何と行っても陸上競技用のトッラクが無い分ピッチとスタンドの距離が近い。 タッチラインからメインスタンドまでは9m、スタンドの一番近い所では約6mだそうだ。 その距離はW杯の会場の中では、随一の近さだとか。 私はホームスタンドのゴール裏に陣取ったのだが、いつもみている長居競技場の感じとは随分違う、ピッチを走る選手の姿が近い。 アウェイ側のゴールでの様子も良くわかる。すごい臨場感。そして、ピッチを囲むスタンドの形状がまたその臨場感を倍増させる。
四方をかなり傾斜のきついスタンドで囲み、そのメインとバックのスタンドは「翼」の屋根で覆われている。 その密室性が試合の行われているスタジアムを非日常的な異空間にショーアップする。サポーターの歓声や声援が何倍にも膨れ上がって聞こえる。 それを最初に体感したのが、試合前、開会式でシングライクトーキングの佐藤竹善さんが国家を歌った時だった。 竹善さんの声が聞こえなくなる程のサポーターの大合唱がスタジアムを包んだ。 日が暮れてからのライトアップ効果もより幻想的にさせる。まるで、コンサート会場にでも居るかの様な錯覚にとらわれる。
おそらく、選手の耳にもサポーターが送る声援が何倍にも大きくなって届いた事だろう。 よくサポーターは十二番目の選手っていわれるけど、本当に選手と観客が一体になれるスタジアム。 5月2日の夜、私はその「非日常的」な異空間に酔っていた。
ところで、この「非日常」という言葉は恋に落ちる時の、要因の一つなんだそうです。
「情熱」、「親しみ」、「非日常性」の三要素が揃った時、人は恋に落ちやすいと、先日TVのバラエティー番組で心理学者が言っていました。 だとしたら、「情熱的」なスポーツ、サッカーの同じチームを応援して「親しみ」を持ち、 この神戸ウイングスタジアムが生み出す「非日常」的な空間に酔ってしまたら恋に落ちる事、間違いなし! あなたも大好きな人を誘ってぜひ一度、行ってみて下さい。神戸ウイングスタジアム。「翼」のはえた恋のキューピッドが微笑むかもしれませんよ。
(ちなみにW杯の後は改修工事に入り、2003年の春に完成予定だそうです。)

備考・2006年01月13日名前変更

第025回 2002年05月02日 重塚利弘 「いまゆうぞう」

「あなたのお名前は?」
「いまゆうぞ。」
「早く言って下さい。」
「いまゆうぞ。」
「いや、だから早く名前を言って!」
「いまゆうぞ。」
「あのねぇ。いまゆうぞいまゆうぞってあなた早くお名前を言って!!」
「いやだからさっきから言ってるじゃないですか、いまゆうぞうって。」
「えっ!名前が (いま ゆうぞう) ですか。」
あの天才兄弟漫才師、夢路いとし・こいしさんの漫才の一節である。
(言い回しには差異があるが)
(今、言うぞ)と(いま ゆうぞう)と言う名前の言い違い・聞き違いである。
これが、我が日本語の持つ面白さ、言い換えれば日本語の妙であろう。
しかしこれだけではない。
(今度迎えに行くぞ・・近藤迎えに行くぞ。)
文字で書くと一目瞭然だが、音として、すなわち喋りで聞くと、(コンドーム買いに行くぞ)とも聞こえたりする。実に面白い。
先般、私が面白いと思っているお馬鹿な聞き違いにこんなのがある。
あるニュース
「政治家と企業の汚職事件で・・・・」と言うコメントが耳に入ってきたが、
これを私は何を思ったのか、
「政治家と企業のお食事券・・・・」と聞き、フ-ンそんな食事券があるのか?と 真剣に聞き入っていた。
いやはや、大バカもん?である。
でも、ありませんか?そんな聞き違いで大笑いした事。あるでしょ?
日本語の持つ独特の音と言い回しの面白さ、きっと、もっといっぱい有りますよね。
と言うことは当然、外国語にも有るんでしょうね。
こんな(叔母かな)あれ?お馬鹿な言葉見つけて、日本語の「音」を楽しみながら、笑って人生過ごしましょう。ハハハハ愉快、愉快!

第024回 2002年04月18日 龍すみか 「いっぱい」

幼い頃、
『いっぱい食べて、
いっぱい遊んで、
いっぱい寝なさい』
と言われ、素直に実行した私は、
とっても大きく(がっしり?)
元気に(丈夫に?)
成長しました。
また、ある先生に、
『いっぱい経験して、
いっぱい悩んで、考えて、
本当にやりたい事を見付けなさい』
と言われ、がんばってみました。
やりたい仕事が見付つかり、いろんな人に出会え、たくさんの経験や勉強をさせて頂いてます。
ホント幸せ者だなぁ…。
でもこうしてみると、『いっぱい』という言葉は私のキーワードになっているのかも!?
私の心と身体には、こんなに沢山の『いっぱい』がつまってたんですね!!
知らなかった…。(笑)
皆さんには、どんな『キーワード』がつまってますか?

第023回 2002年04月04日 中江有佳(スタッフ) 「二十代」

驚くことに?!もうすぐ私も、「三十路(みそじ)」の仲間入りを致します。
20才になって振り袖を着て、雨の中、成人式に行ったのは、
ついこの間のような気が・・・。
19才の時、専門学校の先生に
「20才になったら、30才までの10年間、日記つけてみ。
10年間の自分の変化や成長が見れておもしろいし、
人生の中で大事な時期でもあるから、記録にもなるし・・・」
と言われた事がありました。
しかし、無精な私は日記を付けず、その言葉も忘れかけていました。
最近、自分について考える機会があり、
ふと、先生に言われた言葉を思い出しました。
「私の20代なぁー・・・」
日記を付けてない事を、少し後悔しつつ、
憶えてる範囲で、20代を振り返りました。
この作業、意外となかなかおもしろいのです。
あの時は、何もまだわからずに走ってたなぁとか
あー今はできないけど、若いからできた事やったなぁとか
あの頃のあの気持ちを忘れてるなぁとか
恥ずかしいやら、おもしろいやら・・・。
前向きに振りかえるというのは、新鮮な気持ちになれるんです。
いろんな出来事があって、それを吸収して消化して、今の自分がいて、
今の自分もいつかこういう風に思いだすであろう、
これからの自分も楽しみになってきます。
あと残り少ない20代、もう一花咲かせて?!
やってくる30代を楽しみに待ちたいと思います。

第022回 2002年03月28日 小川時代 「歌うと元気に」

小さい頃から歌が大好きで、休みの日は一日中、家の中で歌ったり、踊ったりしていたという、ご近所迷惑な子でした。
元々声が大きく、声帯も強いらしく、アニメからポップス、童謡、演歌までとジャンルを問わず、何でも好きでした。
だから、小学生の時にはミュージカルダンサーを目指してました。
がしかし、その時の私は、音楽の先生に”アルト”のお墨付きを貰うほどの低音だったんです。
これではいけない!と悟った私は、女の子の憧れ(私だけ?)”ソプラノ”になるべくひたすら励みました。
高く声を出すのはもちろん、他の女の子の真似をしてみたり、音楽の先生と仲良くなったり・・・。
その甲斐あってか、卒業時にはソプラノに。
「ああ~、これでミュージカルダンサーになれる~!!」
・・・その夢も長くは続きませんでした。中学に上がると科学や考古学に目覚め、挙句の果てには、タイムマシーンを作るぞ!などと意気込んでいました。
しかし、その夢もはかなく消え、いつしかこの業界に。
昔とった杵柄、というかあの時手に入れたソプラノや歌が今では大切な財産です。
”歌うと元気になれる”
大声を出すと発散できるというのもありますが、あの時の気持ちが蘇り、パワーが戻ってくる気がするんです。
いわば、私にとっての充電器みたいなものなんですかね。
皆さんにもありませんか、そういう『想いの充電器』。

第021回 2002年03月21日 成金屋清富(五島清富) 「野球」

ここ三年、本格的にキチが入るほど追いかけているモノがあります。
プロ野球です。パシフィックリーグです。
97年、家の近所に突如ガメラ見たいな球場が出来ました。
私の税金も沢山投入されて誘致できなかった大阪オリンピックを夢見て。
第三セクター、大阪ドームです。

最初は見向きもしなかったのですが、テナント撤退云々・・ニュースで郷ひろみの店が云々・・ドーム自体
赤字続きで回収のアテもなく税金が更に豆乳、投入されまくっていると聞き、つぶれる前に一回試合を見に行っておいてやろうと思いました。
一昨年の春でした。
これが運の尽き。
弱い、弱すぎる。
何がって、フランチャイズの大阪近鉄バファローズが。
ヘボい守備に中途半端な継投策。
野球素人の自分でも首を傾げる戦術。
これが仰木マジック並に結果が出せていればOKなんだろうが、全てが裏目裏目に。
一緒に見に行った人は自分がブチ切れる音が聞こえたそうです。髪の毛も逆立っていたとも。
開幕後、連敗連敗でどうしようもなく私もどうしようも無くなっていたとき、一人の 選手に惚れ込みました。

1999年4月6日木曜日大阪ドームでの対福岡ダイエー戦。
連敗を止めるサヨナラ本塁打を放った当時3番をつけていた選手、丁度一歳年上の中村紀洋。 ナマでサヨナラ本塁打を見たのは初めてで、まさに鳥肌モノでした。
この一発で人生がある意味ずれたかもしれません。
個人でやっているインターネットラジオでもパリーグの番組をつくり、仕事先でも球団の事を何気なく喋ってみたりといよいよ猛牛の上にキチがついてしまいました。
この先しばらく追っかけ続ける事でしょう。一生かな。

備考・2006年01月25日レイアウト変更・加筆
備考・2007年01月19日レイアウト変更・画像削除